こんにちは。ぴよです。先日息子の生後1ヶ月パーティーをしました。
今日は、シンガポールで出産後1ヶ月の生活についてざっくりと振り返ります。
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産後1週目
体の自由が効かない
家に帰ってきたものの、いきなり今まで通り歩けるわけもなく…
トイレに行く時だけ移動して基本的にはベッドの上で過ごしていました。
退院してからお腹が痛いのはもちろんですが、そこに加えて胸が痛いのがまさに泣きっ面に蜂。
産後は交通事故にあったような状況というのも言い得て妙で、
全く自分の体が変わってしまったような感じでした。
胸が張ると痛い上に母乳が出て服がびしょびしょになっていて、痛いし気持ち悪い。
赤ちゃんに吸わせようにも首と肩と手首が痛い。
まさにボロボロ…。正直1人で赤ちゃんのお世話をできる状況ではありませんでした。
夫がありがたいことに有給休暇を取ってくれていたので、(駐在員には育休は取れませんでした…)
夫が食事の準備から赤ちゃんのお世話まで基本的に全てやってくれました 涙

ほぼ毎日病院へ通う
退院する時に、小児科の先生から言われた一言
「じゃあ、次はクリニックに2日後にきてね」

「…?!2日後?!?!この体で赤ちゃん抱えて…?!」
結局2日後は自分をクリニックに運ぶだけで精一杯だったので、夫に赤ちゃんと荷物類を全て持ってもらっていきました。
さらに、母乳外来、産後検診、そこに小児検診も加わりほぼ毎日タクシーで病院に通いました。



うちの子どもは黄疸がなかなか引かず、結局この状況は1ヶ月半くらい続くのでした。


栄養が足りない
夫が料理を作ってくれていたので食事は取れていたのですが、
産後の回復と授乳に必要なエネルギーとしては足りていない感覚がありました。



1食食べ終わってもまだお腹空いてる感じ。
入院している時は、栄養たっぷりの献立で夫の分の病院食まで食べてた。
ヘルパーさんが予定通り来ていたら、マーケットへの買い出しや産褥食の調理などを任せるつもりだったのですが…
もっと栄養取らないと元気にならないかも、、、と思っていたところになんと救世主が現れたのでした。
産後2週目
救世主 | 隣のおばあちゃん現る
退院してから、隣に住んでいるマレーシア人の家族が子どもに会いに来てくれました。
私はその時、頭痛や腹の痛みに加え胸も張って乳まみれだったので顔も出せずに横になっていました。
そんな様子を見かねてか、
隣のおばあちゃんが「ピヨは,大丈夫か?」と気にしてくれていました。
そして、日本人では考えられないけど、私がボサボサで寝ている寝室まで(特に許可を取るとかなく 笑)入ってきてくれたのです。


おばあちゃんは、あまりにも元気のない私を見て、「私が栄養たっぷりの料理を作ってあげるよ!」と言ってくれました。
まさに遠くの親戚より近くの他人とはこのこと。
次の日病院の検診から帰ってきたら、またおばあちゃんが大量の野菜と肉を持って突如現れ、「キッチン使うよ!」と言って料理をしてくれたのでした。
産褥食は本当にすごい
産褥食とは、シンガポールで産後の回復のために産婦が食べる回復食です。
シンガポールでは産褥ナニーさん(産後専門のヘルパー)が作ってくれたり、産褥食を届けてくれるデリバリー業者などもいます。
おばあちゃんが作ってくれたスープは、こんな感じでした。


感想は「く、黒い…!」
おばあちゃんがマーケットで買ってきてくれたBlack chicken。これがとにかく栄養満点なんだとか。
調べてみたらこれは日本語で烏骨鶏。


恐る恐る食べると…
「美味しい!体に栄養がじんわりと沁みていくのがわかる!」←これマジ
ほぼ調味料使ってないという体に優しい作り方なのに、甘さと旨みがちゃんとある超健康スープでした。(産褥食蔑ろにしててすみません。)
このスープで、体が栄養もらったおかげで気持ちも元気になり状態が好転していきました。
夫がおばあちゃんからレシピを教わってくれて、このあと産褥期が終わるまで何度も作ってくれました。


まだ続く病院通い
この週もまだ毎日のように病院に通っていました。月水木金で病院に行っていて、木曜日は小児科を梯子していました。(全然休めない)
シンガポールローカル小児科のKinder clinicとニホンプレミアムクリニックの助産師外来をどちらも使っていたのも、病院通いが多くなった理由です。
私はそれなりに英語で話すことは問題なかったものの、それでもやっぱり細かいことや小さな不安を表現するのは難しい…!
初めての赤ちゃんわからないことも多いので、Kinder Clinicで黄疸の検査を受けつつ、プレミアムクリニックで全体的なサポートしてもらいました。
(シンガポールでは、出産した時に立ち会った小児科医のクリニックで1ヶ月検診を受ける必要があるので、Kinder Clinicを外すことはできませんでした。)
産後3週目
まだ続く病院通い
この週も振り返ると水木金土で病院に行ってました。ここまで来ると帝王切開の傷もかなり回復し、スタスタと歩けるようになってきましたね。
あまりに通い詰めているので病院のスタッフにも覚えられ、どちらの病院も顔パス状態になっていました。


自分の体を取り戻しつつある
帝王切開の傷が痛むことが減ってきて、かなり普通に近い状態で歩けるようになりました。(まだ腹筋は無理)
おっぱいも付き合い方がわかってきて、授乳や搾乳のリズムができてきました。(今では一緒にお子のお腹を満たす心強い仲間)


産後考えることを放棄していた頭も戻ってきて、やっといろんな手続きをする気になってきました。(やったとは言ってない)
慣れてきた夜間授乳
私は母乳が比較的出やすい方だったので、おっぱいという3時間毎に張るアラームを身に付け、夜中も定期的に起きられるようになってきました。
子どもはよく寝る子で、一度寝たらぐっすり寝る。お腹いっぱいにしてあげたら1人で寝れる。とても手のかからない子でした。(私はまるまる育児のおかげだと信じている。)
寝かしつけに何時間もかからないのが本当に救いでした。
産後4週目
ついに始まったワンオペ
うちは夫が産後1週間休暇/2週間在宅ワークをしてくれていましたが、
遂に出社が始まり、子どもと私の生活が始まりました。
体が動くようになってきたとはいえ、ほぼ夫に家事も子どもの世話をやってもらっていたので
全てが私に戻ってくるのは正直不安。。。
でも、よく寝てくれる子だったことが幸いして、授乳とおむつ交換だけ頑張って、あとは一緒に寝てるようにしたらこの体でもなんとかなりました。(手首は痛い)


援軍(両親)が来星
待ちに待った援軍がやっと来ました…!
もともと来星した時に生まれてなかったら困ると思い、両親の来星タイミングは出産予定日(40週)の2週間後で予定していました。
後から、モトコ先生は37〜38週で計画分娩すると知った時にはあとの祭りで
結局出産から1ヶ月近く私も夫の2人だけという状態になってしまいました。
両親が来てる間は完全に子どもを任せ、私はひたすらに寝て食べました。
体が回復してきてるとはいえ、いくらでも寝れる…!
やはりまだまだ本調子ではなかったようです。
産後ハイも落ち着いていたので、びっくりするくらい寝れました。


終わりに
ざっと私の産後1ヶ月の生活を振り返りました。ここまで読んでくださった方ありがとうございます。
体力の回復の速さは人それぞれ。
うちの場合は夫が最大の戦力になってくれたのと隣のおばあちゃんのおかげでなんとか乗り越えられましたが、戦力は多いに越したことはないと思います。
ぜひみなさんも素敵な産褥期を過ごしてくださいね!



これからもシンガポールで出産・育児をされる方向けの情報を発信していきます!
応援してもらえると嬉しいです。