こんにちは。ぴよです。産後に母がシンガポールに手伝いに来てくれました。今日はその日々の中で親子関係について感じたことをつらつらと書こうと思います。
母と息子を見て感じる母と自分の関係
母は1人でシンガポールに来て2週間近く滞在してくれました。母は滞在している間ずっと息子を抱いてくれて、「かわいいねぇ。」といつも声をかけていました。外に出かける時もベビーカーに乗せると嫌がって泣き出す時は、息子を抱えて歩いてくれました。夜もベッドに置くと息子が起きてしまう時は、抱いたままソファで寝てくれていたんです。そして、たまに「寝顔があなたの小さい頃にそっくりだ。」と笑って言っていました。
私は、その母の様子を見て「自分が赤ちゃんの時の母と自分」を見ているような気がしました。流石に四六時中一緒にいるのだから、実際こんなに抱っこしてられないだろうし、もちろん孫の方が久々の赤ちゃんで可愛いという違いはあると思います。だけど、そういうことではなくて「子どもに対する姿勢」は同じだろうと思うのです。
「こんな風に愛を与えてくれていたんだなぁ」と思うと改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。そして気がついたのです。私は「どんな私も母に受け入れてもらえる。」と思っていると無意識に思っていたことに。
自分の子育てと照らし合わせて考えた時、子どもに「どんな自分も受け入れてもらえる」と思わせることができるってすごくないですか。私は親になってまだ数ヶ月だけど、子どもよりスマホを見てしまう時もあるし、日中子どもと2人だけで家にいるのを辛いと思う時もある。はたして私は息子にそんな安心感を与えられているんだろうか。
思えば母も私と同じような事を言っていたことがある。「家に赤ちゃんといると大人と喋りたくなるのよね。」「そんなに赤ちゃんと遊ぶの得意ではなかった。」… 今の私と同じ感覚だと思う。では、私の無意識にある「いつでも受け入れてくれる安心感」はどうやって形成されたのか。きっと何かコツがある。そして、私にもできるんだろう、きっと。
母はもう帰ってしまう。もう大人だとはいえやっぱり別れは寂しい。無意識に「寂しい」を感じないようにしていた自分に気がついた。大人になっても別れが寂しいと思えるなんていい関係ではないか。思う存分寂しいを味わって、母が無事に日本に帰れるように見送ろうと思う。
終わりに
きっと需要はないけれど、シンガポールで母として感じたこと、考えたことをただつらつら書くコラムを始めてみました。文化的なことにも今後触れると思います。読んでやってもいいという方がいらっしゃったら嬉しいです。


